「渡部コレクション」はなぜ新潟大学にやってきたのか
個人による保管の限界―スペースと高齢化
2016年「渡部コレクション」は新潟大学に寄託されました。その経緯と理由は、中間素材を誰がアーカイブできるのかという問題と深く関わっています。
「アーカイブ(archive)」という語は、記録保存を意味するだけでなく、「公文書館」という制度を指します。公文書館は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録(モノも含む)を整理し保管し、公的に利用可能な状態に保つ場所を管理する組織です。当然、モノには保管する場所が必要であり、その場所を管理する人員が必要になります。もしモノを管理する体制が整備されなければ、モノは思わぬ契機で思わぬ場所に運ばれ、散逸してしまいます。たとえ散逸を逃れたとしても、適切に管理され、利活用されなければ、社会から存在じたいが忘れ去られ、結局は死蔵されてしまうことでしょう。
渡部英雄氏が新潟大学に「渡部コレクション」の寄託を打診した主たる理由は、個人での管理に限界を感じていたからです。2015年、渡部氏は当時の本務校である湘南工科大学の定年を数年先に控えていました。「渡部コレクション」の大部分は、大学の研究室に教材として保管されていました。定年後にそれらを自宅に戻さざるを得なかったのですが、自宅での保管については、同居の家族から理解を得られていませんでした。そのため、渡部氏は別の保管場所を探さざるを得ず、以前より学術交流があった新潟大学のアニメーション研究者キム・ジュニアン准教授に「渡部コレクション」の寄託を打診し、新潟大学の教員で協議した結果、「渡部コレクション」の受け入れが決定しました。渡部氏は、自身が築いた研究者のネットワークを生かして、「渡部コレクション」の次なる居場所を探すことができたのです。
「渡部コレクション」の新潟大学への寄託経緯は、中間素材の行き場のなさという切実な実態を示しています。もし仮に渡部氏が学術コミュニティに知己を得なかったとしたら、「渡部コレクション」は、渡部氏が直接管理できなくなった時点で、廃棄されてしまったことでしょう。2000年代前半まで、制作会社による中間素材の管理は徹底していませんでした。そのため、渡部氏の他にも、中間素材を手元で管理しているクリエイターが相当数存在し、同様に個人による管理の限界に直面していると想定されます。
自宅に保管されている中間素材が将来的にどうなるのか、という問題について、複数のクリエイターは、家族がオークションに出すならまだ理解があるほうであり、大抵の場合は廃棄されてしまうだろうと予測しています。セルアニメ制作を支えたクリエイターの高齢化とともに、再びセルアニメ時代の中間素材は廃棄の危機に瀕しているのです。個人保管の限界を克服し、セルアニメ時代の中間素材を再度の廃棄から救うためにも、制作会社・クリエイター・業界団体・学術研究機関・政府等が協働する中間素材アーカイブの設立が待たれるところです。この点については、記事11「「文化財」としてのアニメ中間素材保管と利活用推進に向けて」をご覧ください。