【インタビュー】映画研究からアニメ研究の世界へ 石田美紀
アニメ・声優研究を行い、そしてアニメ・アーカイブ研究センター共同代表として活躍されている石田美紀教授。石田先生はアニメの世界にどのようなルーツを持ち、研究者の道を歩んできたのか。生い立ちや幼少期の思い出、現在行っているアニメ研究についてインタビューしました。
アニメファンだった兄の影響でアニメが身近な存在に
――幼少期から、石田先生にとってアニメは身近な存在だったのでしょうか。
石田 3つ年上の兄がいて、その兄が筋金入りのアニメファンだったんです。雑誌『アニメージュ』を購読しており、作画や監督について熱弁するような、硬派のアニメファンでした。その影響で身近にアニメや漫画がある環境で育ち、兄妹でよくアニメの話をしていました。『機動戦士ガンダム』(1979-80)などたくさんの作品を見ていました。
――どんな作品が好きでしたか。
石田 一番好きだったのは、富野由悠季監督のテレビアニメ『聖戦士ダンバイン』(1983-84)です。女の子も好きになれるロボットもののアニメで、妖精が出てくるんです。主人公がヨーロッパに似た異世界バイストン・ウェルに英雄として召喚されるファンタジー作品なのですが、キャラクターデザインがとても素敵で、女性キャラクターもたくさん登場する、その世界観がとても好きでした。特にエンディングが素晴らしいので、ぜひ皆さんにも見てほしいですね。今見てもやっぱりいいなと思います。
――ほかに、印象に残っている作品はありますか。
石田 山賀博之監督『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987)について、兄が熱く語っていたことをよく覚えています。アニメ・アーカイブ研究センターではこの作品にご縁があり、2018年春にシンガポール、2019年春にスウェーデンで同作の中間素材展覧会を行うことができましたし、私たちが整理した中間素材のデータを、2018年秋に八王子夢美術館で開催された《王立宇宙軍 オネアミスの翼展 SFアニメができるまで》でも取り扱っていただきました。
実は共通点があった!? 映画研究からアニメ研究の世界へ
――小さい頃から研究者になることが夢だったのですか。
石田 研究者の道は全く考えておらず、小・中学生の頃はピアニストになることが夢でした。本格的に研究者を目指し始めたのは、大学院を受験した頃です。大学院に進学し、修士論文に力を入れるうちに「ここまできたらとことんやろう」と思うようになりました。博士課程では周囲と切磋琢磨し、研究に没頭しました。
――学生時代はどのような研究をされていたのでしょうか。
石田 映画研究です。私が学部生の頃に、映画は学問の対象領域として大学の中でも認められ始めていたんです。個人的には高校生の時、イタリアの映画監督フェデリコ・フェリーニの『カサノバ』(1976)という、とても変わった作品を見たのですが、自分が住む世界とは違うスケールの世界に魅了されました。そこから、学部生の頃にはイタリア映画を研究するようになりました。
大学院では、第二次世界大戦後のイタリアで隆盛した映画運動であるネオレアリズモの映画をテーマに修士論文を書きました。分析をしたロベルト・ロッセリーニは、ファシズムの時代にはプロパガンダ映画を作り、戦後には反戦映画を作っています。政治をめぐっての表現の二面性にとても興味があったんです。
博士課程ではファシズム時代のイタリアの商業映画、特にハリウッド映画やハンガリー映画に似せて作られたコメディ映画について研究を行い、その一環でイタリアにも行きました。ローマにある国立映画アーカイブの「チネテカ・ナツィオナーレ」に一週間ほど通い、たくさんの作品を見せてもらったんです。のちに戦後のネオレアリズモによって黄金期を迎えることとなるイタリア映画ですが、このファシズム時代における映画製作の技術向上や体制の強化があったからこそ、世界で称賛される映画が作られるようになったのだと考えています。
――映画研究からアニメ研究へ移行したきっかけは何だったのでしょうか。
石田 ファシズム期のイタリア映画を一生懸命研究する中でふと、この領域を研究しているのは日本では私だけだと気付いたんです。少し寂しい気持ちもあり、そこから色々と研究するようになりました。アニメや漫画もその一つです。
そのきっかけとなったのは、なぜ数多くの少女漫画家がヨーロッパの世界を描いているのか、そして、自分自身もなぜここまでイタリアに興味を持ったんだろうと、疑問に思ったことです。調べてみると、読み親しんできた少女漫画の先生たちはみんな、実はヨーロッパの映画(特にルキーノ・ヴィスコンティの作品)を勉強していて、それらをモチーフに作品を描いていたことが分かったんです。それで私もヨーロッパが好きだったんだと気付きました。例えば、ヴィスコンティの映画の主人公にそっくりな美少年や「ヴィスコンティ伯爵」なる人が登場する作品もあるんです。日本の少女漫画やサブカルチャーの中にヨーロッパの物語がたくさん描かれていて、作家の先生も読者も、みんなそれが好きだったんですね。
――映画研究とアニメ研究の根底にヨーロッパという共通点があったのですね。
石田 そうですね。一見すると全く別の分野を研究しているように見えますが、結びつく部分がたくさんあるので、自分の中では整合性がとれています。
アニメ・アーカイブの活動も同じです。一緒に活動しているキム先生は韓国のご出身ですが、世代が同じこともあって共通の作品を見ていたり、日本と韓国のアニメ文化にアメリカが関係していたりと、世界は必ずどこかで繋がっているんだなぁと感じます。
だから、サブカルチャーを取り扱っているというより「世界の仕組みの一つ」としてアニメ研究を行っている感覚です。
これまでに誰も取り上げなかった歴史を発掘していきたい
――これからの研究について教えてください。
石田 少女漫画の作家たちがこぞってヨーロッパ文化を学んでいたことや、少年役を演じる女性声優のことなど、これまで大きく取り上げられてこなかったけれども、実は世の中を動かしてきたものについて、どんどん発掘していきたいですね。アニメの中間素材もその一つです。誰もやらない研究、私がやらないと明らかにされない研究をやっていきたいと思います。
――まだ明らかになっていない部分を探る、ということですね。
石田 そうですね。まだまだ明らかになっていないことは世の中にはいっぱいあると思うので。それから、責任感というのもあります。今やらなければ、誰も研究しないだろうと思うことや、忘れられてしまいそうなことを拾い上げて研究しようという気持ちです。
研究はリレーです。今私たちが研究していることが、未来の研究者たちにとって研究のきっかけとなればいいなと思います。
――研究を行う中で、苦難はありますか。
石田 苦難はあまりないです。もちろん大変なことはありますが、楽しくやれないと研究にはならないと思います。それに、研究を重ねるうちにどんどん研究対象を好きになるんです。だから、これまで研究した人や作品は全て大好きです。
研究の中心地となった新潟
――初めて新潟を訪れた時のことを教えてください。
石田 豪雪のイメージが強かったのですが、想像よりずっと都会でした。初めて新潟を訪れたのは、新潟大学の採用面接の時です。特急北越に乗って、京都から約8時間かけて新潟に来ました。一番印象にあるのは、新潟駅前の大型ビジョンで踊っていたNegiccoですね。
――新潟は好きですか。
石田 新潟は大好きです。大学も好きだし、のびのび過ごせるのがいいですね。特にアニメ・アーカイブの活動は、新潟大学だからできたと思います。学長をはじめ教員から事務の方々まで、たくさんの人が応援・協力してくださり、研究を進められています。そのことにとても感謝しています。また、人文系の研究は一人で取り組むことが多い中で、いろんな方と共同で作業を行うことはとても珍しく、チームプレーの楽しさを実感しています。
最後に、学生に向けてメッセージをいただきました
――最近の学生に対して、何か感じることはありますか。
石田 新型コロナウイルスが流行する状況下の学生生活はとても大変だと思います。コロナ禍だけでなく、これから何が起こるか分からないですよね。でもだからこそ、一度きりの人生で何を重視するのかを考えて、やりたいことには思い切って取り組んでほしいです。今の学生さんは私の学生時代よりも随分しっかりしているし、教育の環境も整っているので、大学で蓄えた知識や経験を総動員して、物事をいろんな角度から考えてほしい。私が行っている研究も学生のみなさんの刺激になれば嬉しいです。
プロフィール
取材日:2021年8月6日
取材・文/現代社会文化研究科 山内みみ
関連リンク:
アニメ・アーカイブ研究