【インタビュー】温故知新のチンギス・カン研究 白石典之

2021年01月25日
特集 モンゴル

写真:アウラガ遺跡の発掘

モンゴルをフィールドに発掘調査を行っている考古学者の白石典之先生。チンギス・カンという歴史上の人物の生涯を明らかにすることで、将来の持続可能社会の創造へのヒントを探っているそうだ。いったいどういうことなのか、どういう意義があるのかなど、わかりやすく解説していただいた。

今、なぜモンゴル史を紐解くべきなのか

――まず、先生が専門としている考古学とは、どのような学問ですか。

白石 考古学というと恐竜の化石を調べていると思う人が多いようですが、それは誤解です。考古学とは物質資料を通して、過去の人類の営みを復元する学問です。化石は触ったり持ったりできる物質資料ですが、人類誕生以前の生き物なので、考古学の対象にはなりません。考古学は広い意味で歴史学に含まれますが、考古学では古文書などの文字資料はあまり用いず、土器や石器、竪穴住居や古墳といったモノを扱うという特徴があります。

――考古学というと、縄文や古墳など何千年も前の古い時代が対象だと思うのですが。

白石 研究対象は必ずしも大昔でなくても良いのです。極端な例ですが、ゴミ箱に捨てられたペットボトルも、数時間前の人間の行動と関連するモノなので、研究対象としている考古学者もいます。そう考えると、13世紀に生きていたチンギス・カンとその時代も、考古学の対象範囲として扱うことに問題はありません。

――なぜチンギス・カンの研究をしようと思ったのですか。

白石 チンギス・カンが暮らしたモンゴル高原は、冬にはマイナス50℃、反対に夏には40℃にもなる寒暖差の激しい土地です。しかも年間降水量が50~300mmと極端に乾燥しています。そのような自然環境の厳しい土地から、どのようにしてチンギス・カンという強大な支配者が生まれたのか、興味を抱いたからです。

――チンギス・カンというと、教科書にも出てくる大変有名な人物ですね。当然たくさんの古文書が残されていると思います。考古学からでなくても研究できるのでは。

白石 チンギス・カンはモンゴル帝国の初代君主で、ユーラシアの東西にまたがる広大な土地を征服しました。モンゴル側の人間は神のような優れた支配者だと彼を称えました。一方で征服された側は残忍な殺戮者だと非難しました。数多くの古文書は残っていますが、毀誉褒貶が激しく、そのまま利用することが難しいのです。そのため、いつ、どこで生まれたのか、どこで、どのように暮らしたのか、どこで死んで、どこに葬られたのかなど、彼の生涯はまったくわかっていません。そこで考古学からのアプローチを始めたのです。物質資料は、ねつ造など後世の悪意が入らなければ、史実を正しく伝えてくれるからです。

――チンギス・カンについて、先生の調査でどのようなことがわかりましたか。

白石 私たちの研究チームは、モンゴル高原の東部にあるアウラガ遺跡という所で、20年にわたり発掘調査を行っています。ここはチンギス・カンが政治と軍事の拠点を置いた所で、いわばモンゴル帝国の最初の首都です。遊牧生活を送っていたチンギス・カンが街を築いていたのは意外でした。そこからは宮殿、戦闘で使う武器を製作する鉄工房、農耕跡などが見つかっています。鉄工房では最先端の技術で、効率よく矢尻などの武器を大量生産していた様子が復元できました。モンゴル軍の強さの秘密の一端が理解できたと思います。また、農産物は中国などからもたらされたと考えられてきましたが、自前でキビや麦などを作っていたとわかったのは新知見です。略奪や交易で周辺の先進地域に依存しつつ、身近に生産拠点を設けて、モンゴル高原の生産性の向上に力を入れていた様子がうかがえます。このようなモンゴル高原の資源と外来の技術を、巧みに組み合わせたり、使い分けたりすることによって、人々の生活を豊かにすることに努めていたようです。

――チンギス・カンと持続可能社会の創出とは、どのようにつながるのですか。

白石 チンギス・カンは自然環境の厳しい土地でも強い国ができるということを示してくれました。技術革新を行って在地の資源を巧く活用することができれば、人々は豊かになれるのです。今、世界を見回して紛争が多発している地域は、モンゴルと同じような乾燥地帯がほとんどです。脆弱な経済基盤から起こる貧困が紛争を引き起こします。その紛争が新たな貧困を引き起こすのです。食糧生産に限らず、持っている資源を活かすことのできるというような、何かのきっかけをつかむことができれば、状況は好転するはずだと期待しています。そのような役に立つヒントを、チンギス・カンの事績の中から見つけたいと考えています。もちろん、それだけで紛争が解決するとは思っていません。ですが、夢や希望といった明るい道筋は示せると思っています。

――征服者が紛争解決のヒントになるとは、矛盾していませんか。

白石 たしかにチンギス・カンによって多くの命が失われました。これは大きなマイナス面です。しかしプラス面もあります。私はそこを重視したいのです。たとえば、彼は征服した土地の自治を認め、信仰の自由も許しました。それが広大な国土を統治できた秘訣だといわれています。また、彼と彼の子孫たちは陸や海の道路網の整備、関税の簡素化を実施し、西洋と東洋を結びつけました。これをグローバル化の先駆けと考えている学者も多いです。グローバル化は私たちにたくさんの有益なことをもたらしましたが、その反面で多くの弊害も引き起こしました。チンギス・カンの時代に遡り、グローバル化がもたらした現代社会が抱える問題を解決する糸口を探すのも、意義あることだと考えています。古いことから新しい知見を生み出す、それを未来の持続可能社会の創造に活かす、いわば「温故知新」というスタンスで研究に取り組んでいるのです。

プロフィール

写真:白石 典之白石 典之(しらいし・のりゆき)

新潟大学環東アジア研究センター長、人文社会科学系(人文学部)教授。博士(文学)。
1963年群馬県生まれ。筑波大学大学院歴史・人類学研究科博士課程単位取得退学。1994年に新潟大学人文学部助手として着任。1997年から2年間モンゴル科学アカデミー歴史研究所に留学。2003年に第1回「最優秀若手モンゴル学研究者」としてモンゴル国大統領表彰、2014年には第67回新潟日報文化賞を受ける。著書に『チンギス・カン-蒼き狼の実像-』(中公新書)、『モンゴル帝国誕生-チンギス・カンの都を掘る-』(講談社選書メチエ)など。

取材日:2020年11月16日
取材・文/人文学部 青木 亮子

 

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